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ぼんやりと考える

適応障害で1ヶ月半くらい仕事を離れている私が部屋でぼんやりと考えたこと。

働き始めてからのとりあえずの目的はFIREだった

なんとなく一億円を貯めることを目標にしていた。人と接することが苦手な私にとって、経済的な自由を確保しておくことは重要なことのように思えたからだ。その目標はおそらく、ほとんど何の苦もなく達成できたことだろう。もともと物欲もお金のかかる趣味も持っていなかった。働き始めてからもそれは変わらず、どれだけ資産が増えても生活水準は変わらないままだった。贅沢をしても何も満たされないし、そんなことをするくらいなら投資に回したほうがマシだろうというような発想になってしまっていた。

仕事を続ければおそらく後5,6年で資産が一億円を超えるだろう。そうなれば働く理由はほとんどなくなる。社会とのつながりを維持したほうがいいのは分かっているが。今の私はその状態を疑似体験していることになるのだろう。いったい私は何なのだ。何をすることが私なのだ。そこから分からなくなってしまったようだ。

趣味がないわけでもない

アニメがきっかけで旅行(聖地巡礼)に行くようにもなったし、登山を始めたりもした。もちろん、お金をかけようと思えばいくらでも掛けられるのだろうが、それほど贅沢をするようなこともしていない。健全な趣味を持ったというくらいだろう。登山と言っても日帰りで低山を登る程度で体力づくりのためという側面もある。

ただ、こういった趣味を心から楽しめていたかと言うとそうでもなくて、休みの日には仕事のことを考えてしまうし、登山に行くとなると半日から1日がかりになるわけだが、こんなことをしているなら家で勉強していたほうがいいのでは?とそんな疑問が常に頭の中を支配していて、山の中で仕事のことを考えるような有様だった。

孤独な研究開発

研究開発と言っても、一人孤独に取り組んでいる時間が長かったから、必要な知識は業務外で身につけるしかなかったのだ。どこまでのことができるようになるかも私次第としか言いようがなかった。

私は素材開発をしていて、大学も材料科学専攻だったのだが、その中でも計算科学というかシミュレーション(シュミレーションではないよ!)をやっているという変わり種の人間なのだ。このことが私の重要な個性になっている反面、私以外の人ができないことを一人で取り組むという状況を生み出してもいる。

毎月月末になると月報を書くのだが、一体何が進展したのだと分からないことも多かった。確かに進んではいる、でも、部内の他の人に理解されるような進みではない。目に見えるカタチに持っていくには時間が足りなかった。だから、家でもひたすら必要な知識の学習を行っていた。

それは私がやりたいことではあった。それに取り組むことがこの部署をあるべき姿に導くと信じて取り組んでいた。しかし、私は仕事を中心に据えすぎていたようにも思う。今、こうして仕事を離れて1ヶ月以上を過ごしていて、私は結局何がしたくて生きているのだと、そこからわからなくなってしまっている。

寄付に対するわたしの考え

私は自己評価が低いというか、自分という人間の価値を否定しがちで、自分なんかのために給料のすべてを使うのはおかしいのでは?という疑問を抱くほどだった。実際、効果的利他主義とかマイケル・サンデルの『実力も運のうち』みたいな本を読むとたまたま先進国に生まれた私が十分な資産を持っているのは偶然に偶然が重なった結果でしかないことになるのだが。

私は自分の考えの正しさを裏付けてくれる本ばかり読む傾向にある。それで、私は月に一万円寄付をしている。ふるさと納税の話ではない。それを無駄だとも思っていないし、こうすることで自分が何かの役に立てているという実感を持つことにもつながっている。寄付というのは人のためと言うよりは自己満足でしかないのかもしれない。こんな額を毎月寄付している人はそういないだろうから、たぶん大抵の人よりも「いいこと」をしているという優越感のようなものを感じることもなくはない。

だったら寄付するために働けばいい、というのも1つの考えなのかもしれない。でも、それを目的にできるほど善き人間というわけでもないのだ。

失恋して物欲を失う

大学時代に私はかなり厳しい失恋を経験した。それが私の自己肯定感を低くしている主な原因でもあるし、物質的なもので人の心は満たされないということを学んだ経験でもあった。告白がしたいわけではなかった。ただ、憧れていて、尊敬していて、そんなことを伝えられたら十分だった。でも、言葉の終わらせ方が分からなくて、付き合ってくださいと言うしかなかったのだ。

その後も相手の方には相当な迷惑をかけたし、謝る機会さえ持つことができなかったが、それならせめて正しいことをして生きていようというのが私の座右の銘というか、生きる指針になった。

そうして、たぶん、それなりに正しく生きていることができたのだと思う。それは社会のためであって、自分のためではなかったのかもしれない。私は何をしたら満たされて、この虚しさはいったいいつになったらなくなるのだろうか。心から楽しめる、不安も何も感じずに、そんな何かを見つけたい。

メタデータ

  • date: 2026-08-20