生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミスト・シオランの思想
この本に惹かれる時点でその人は厭世的なのだろうが、私もその一人だ。 人生で行き詰まりを感じると本に逃げ込む傾向のある私はタイトルと表紙に惹かれてこの本を手に取った。
ペシミズム、この世界を悲観しているにも関わらずこの世界の絶望を感じ続けることを魅力に感じて生き続けてしまう存在。
自殺については私も考えていた時期があった。もう10年近くも前のことだが、わたしの基本的な考え方や価値観は その頃からあまり変わっていない。死にたいと思うことはあっても実行に移さないことは分かっていた。 陳腐な言葉かもしれないが、生きていれば何かの救いや希望があるかもしれないと信じていたからなのだと思う。
悲しみも苦しみも本来であれば避けるべき感情なのかもしれない。でも、そういう強い感情を抱いているときほど 生きているという感覚を得ることができるのも事実だと思う。ペシミズムというのはそういった悲嘆を 愛している存在とでもいうのだろうか。
「死ぬ気でやれば何でもできる」「死ぬほど辛いなら今より悪くなることはない」。 もちろん、自殺してしまっては元も子もないのだが、そう割り切ったほうが人生は楽になるのかもしれない。
死ぬことを諦めたわたしはこの本に示されているような生からの解脱や怠惰の道を歩むというよりは ソクラテスやストア派の言う「正しく生きる」という考えに惹かれるようになっていった。
結局生き続けることになるなら、せめて正しい生き方をしたい。正しいことを正しいと言って、間違えていると 感じることには間違えていると言えるような信念を持った人間でいたいと思うようになって、 それがわたしの生き方の指針になっている。
厭世的と言うよりは自分のためだけに生きるというのが難しい質なのかもしれない。 そこに価値がないということをあまりにも早く知りすぎたのかもしれない。
悲嘆に暮れながらも、死を思いながらも生き続ける。本書の中でも、どうせ死ぬのだから
- 何をやっても意味がない
- 何かを成し遂げたい
という2つの考えがあるということが記されていた。たしかに自分のために何かをしても意味はないのだ。 死ねば終わりという当たり前の現実がある。
わたしのいう正しく生きるというのは
- 世界を傷つけないように生きる
- 他者、特に次の世代に役立つものを残す
この2つにまとめられるように思う。
こう考えを進めてみるとわたしは前向きであるかのように思えるから不思議だ。
世界には絶望していないが、自分には絶望している。それでも自分にできることを見つけようとしている。 この存在を一体何と呼んだら良いのだろうか。
メタデータ
- date: 2026-09-12