なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか-バーンアウト文化を終わらせるためにできること
研修に行く前からずっと閉塞感のようなものを感じていた。 研究開発と言ってもできることはある程度やってしまっていて、 アイデアが尽きたというか、オーバーエンジニアリングというのか、微妙な改良を施すばかりになっていたのだ。
私にとって研修は現状を打破するための可能性の1つのように思っていた。 ただ、実際に研修が始まってみるとそもそも仕事がないという問題に直面したのだが、 仕事があっても今までの自分と何の関わりもない、自分にはどうすることもできないような案件が多くて、 学びというものが余り得られない場所であることに気づいた。
もちろん、何事も知らないよりも知っていたほうが良いし、仕事がないなりにデスクワークという名の勉強を し続けていたのではあるが、半年間もそれをやり続けるのは受験する予定がないのに ひたすら試験勉強をやり続けるような感じがあって、虚しさのようなものを常に感じていた。
それに、私が今勉強していることはおそらく前任者も勉強していて、研修生が入れ替わるたびに これが繰り返されるのは健全な状態とも思えなかった。 これがナレッジベースを作る動機になったし、もともと非構造データをどう扱うべきかということが 研修前の開発の課題になっていたからそれに対する答えを出すためにもナレッジベースの構築というものに 取り組んでみたかった。
未完成とはいえ一応閲覧できる状態にはなっているこのナレッジベースが他人にとって役に立つものなのか 私にはわからない。やっていることが会社の方針や考え方とあっているのかもよくわからなかった。 私の部署は完全な縦割り構造になっているから、いろいろなところから情報を集めてきて 一つにまとめようという思想は相容れないようにも感じられた。 私以外の人間には加筆修正が難しい状態でもあるし、そのあたりを整備しないといずれ廃れる可能性が高いことも 課題のまま残っている。
そう考えると研修に出る前から可能性が閉じかけていて、研修という望みに託したところで 結果は余り変わらなくて、これからどうするのかよくわからない、可能性が閉じてしまった、あるいは、 ナレッジベースについて評価されることが怖くて身動きが取れていない、 それが今の私の状態で名前を付けるならバーンアウトとでも言うのかもしれない。 この定義に当てはまるかどうかはさして重要でもないのだろう。
ちなみに仕事に忙殺されるのはバーンアウトで、社内失業のように何もなくて燃え尽きてしまうことを ボアアウトと言うそうだ。そちらのほうが適切かもしれない。
自分の行動が何にも影響を与えられていないことに気づいた、ナレッジベースがおそらく役に立たないだろうことにも 気づいてしまった。燃え尽きたというか、できることがなくなったのだろう。
何が原因ともわからないが、この半年間、ナレッジベースを作るというのは自分のためではなくて 人のためだったように感じる。人のために、しかも、人にとって役に立つかもわからないものに手を出し続けた、 それが悪かったのかもしれない。自分の成長に資することをすればよかったのかもしれない。 あるいは、やることは同じであってもあくまでも自分のためと割り切るべきだっただろうか。
著者がバーンアウトに陥ったのも、 学生のため 、学生に学問の楽しさを知ってもらいたいということに こだわり過ぎたからでないだろうか。人のためというのは結局の所押し付けがましいところがあるし、 他人に評価を委ねることになってしまうから不安にとらわれてしまうという欠点がある。
やはり仕事は自分のためにするものなのだ。自分のためにできない仕事はバーンアウトであれボアアウトであれ、 いずれ限界が来るということなのだ。
メタデータ
- author: ['ジョナサン・マレシック']
- created: 2026-07-14
- completed: 2026-07-24