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ことのはじまり

私の部署では半年の海外研修が事実上義務化されていて、やがて私の番が回ってきた。

内示を受けた頃の日記を振り返ると日本での業務にも行き詰まりを感じていたこともあってか、それなりに前向きに捉えているような言葉が多く見受けられた。実際、その日のうちに『地球の歩き方の北京版』と『初めての中国語』みたいな教科書を買っている。

ちょうど高市早苗の台湾有事発言があってこんな時期に中国に行くのかという不安もあったが、実際に過ごしている分には日本人だからといって差別や嫌がらせを受けることは全くなかった。国と国の仲は悪いのだろうが、個人と個人の関係は別問題なのだろう。

研修の目的は中国顧客の技術的フォローということになっていた。ただ、到着して業務が始まっても顧客からの問い合わせがあまり来ない。その上、問い合わせが来ても私が日本で行っていた業務とほとんど関わりのない内容が多くて私では答えられない内容が大半だった。

そうなると日本の主担当者にメールを入れて確認して回答ということになるのだが、これだともはや仲介役の仲介役で何のために私が存在しているのかさっぱり分からない。月に一回くらいは顧客訪問というのをやるのだが、触ったこともない製品不具合について何か言えるわけもなく、時には片道数時間もかけて移動してこの体たらくかと死にたくなりながら業務を続けていた。

仕事がない、あってもよく分からない、ただその場にいて日本と連絡を取るだけの存在。そもそもメールやWeb会議がメインなら現地にいる意味もない。こんな状態で過ごしているとだんだん神経がおかしくなっていく。

私が中国に滞在している時に、巨人の監督の娘がAIに勧められて児童相談所に相談をしたというニュースがあった。ちょうどその頃の私はAIからいのちの電話を勧められていてなんとなく親近感を覚えていた。

もちろん、電話をすることはなかったが。というのも、私は学生時代にいのちの電話に電話をしたことがあるのだ。

電話と言ってもまずつながらない。

いろいろな拠点に自動転送されながらひたすら待ち続けてようやくつながる。

すると、「こちらはいのちの電話です。どうしましたか?」みたいなことを言われる。

あとはこちらがどれだけの想いで電話をかけたか、言ってしまえば辛さの自己アピールをすることになる。

口下手な私にとってこれはかなり難しくて、相手にうまく伝わらなくて「あなたよりも辛い人もいっぱいいるんだよ」みたいなことを言われてしまったことがある。

「それならお前は他人の不幸で幸せになれるのか」と言いたくなったが、「もう大丈夫です」と言って電話を切った。結局、こんなことすら伝えられないのかという失望と私はいのちの電話で救われるような人間ではないのだという歪んだ優越感、一人で抱え込まないでなんて言うのは誤りだったのだというこれまた合っているのかよくわからない考えを抱くようになった。

それでも半年乗り切って、最後に日本へ送ったメールに週報としばらく休むという旨を書いて帰国した。

そのしばらくをいつまで続けるのかは私が自由に決めたらいいと思っていた。2週間くらい休んで会社に行こうと思っていたが2週間経っても会社に行って研修の報告をするということを思うと出勤する気になれなかった。

このまま休み続けても埒が明かないと思ってメンタルクリニックを受診して経緯を一通り話すと適応障害と診断を受けた。

実際のところ適応障害というのが何なのか私にはよくわからない。2週間出勤していないという事実に対してとりあえず名前をつけたということなのだろうと思う。それでも、一ヶ月の自宅療養と書かれた診断書が伝家の宝刀のように思えて嬉しかったというか、安心したのを覚えている。

自宅療養と言っても精神的な問題だから普通に活動することはできる。というか、医者からも運動をするようにということは言われているからジョギングをしたり登山、と言っても高尾山までだが。そう、治療の一環なのだ。

休んでいる間にこんなことをしていた。

  • バレエ『ジゼル』を観る
  • コミティアに行く
  • マジカルミライに行く
  • 美術展に行く
  • ジョブカードを書く
  • ジョギングもする
  • 高尾山にも行く
  • クリエイティブな人間になりたいというずっと抱いていた想いをカタチにするためにnoteを始める。

休んでいる間は普通に活動できる。むしろ以前よりいろいろなことをしている。それなのに会社には行けない。

自分でもこの状態をどう理解すればいいのかよくわからない。 それでも会社には行けない。会社に行くことが対決することを意味しているというか、 私が負けると分かっている戦いのように思えてしまう。

あの半年間を過ごしたあとに何食わぬ顔して今までどおりの業務に戻ればそれで良かったのかもしれない。というか、今までの研修生はそうしていたのだろうか。

私にはそれができなかった。それは私の正義感の強さなのか、私の信念に反するからなのか、どちらにせよ嘘をつくのが嫌いなのだ。

適応障害と診断されて2カ月経つ、抑うつに対する元気になる薬というのをもらっているが、抑うつは私の気質みたいなものだから薬でどうこうなる問題ではないと思う。

会社に行って区切りをつけるか、会社を離れるかのどちらかなのだろうが、そのどちらとも決心がつかずにダラダラと診断書の期限を書き換えてこうして毎日を過ごしている。

そもそもなぜ今の仕事をしているのかと言うと、結果的にこの会社が私を雇ってくれたから、ということにはなる。

子供の頃からパソコンが好きで、プレステや64よりもMMOをやっているような人間だった。小学生のときにMOUSというマイクロソフトのエクセル検定やパソコン検定を受けたりもしていた。C言語の教科書を買って勉強したりもしていた。

そうなると情報系の学部に進んだらよさそうなものだが、母がプログラマーに偏見、ブラック、過酷、を持っていて結局大学では別のことを学ぶことになった。

それに、私は子供の頃から友達がいなかったわけだが、母はその一因がパソコンにあると思っていたようでもあった。まあ、小学生が一日中MMOやってるのだから、今の時代ならそんなのは普通かもしれないが。

こんなふうに振り返って考えると、今の私の仕事や大学で身につけた専門知識は確かに生きる糧にはなっているが、私が選んだというわけではないことがわかる。最終的には私が選んだとは言え、それは一番を却下されたあとの話だ。惰性で続けられているうちはそれで良かったにしても、こんなふうにつまずいてしまうと起き上がるのが難しくなってしまうのは、このあたりに原因があるのかもしれない。

この研修を通じて、知らない場所に足を踏み入れる度胸みたいなものは身についたような気がする。言葉の通じない国で電車に乗って地下鉄に乗って、時にはタクシーに乗って、それを一人でこなした今となっては日本でそういうことをするハードルはかなり下げることができた。

研修の間に調べたり、食べたり、旅をしたりしたことをまとめたのがこのサイトのもともとの作成経緯だ。


2026年10月16日追記。そもそも研修の目的があいまいすぎたのだ。 こんな風に曖昧な目的を課されたまま飛ばされて、 こちらがその点を指摘したら研修拠点を変えようという答えしか出てこなかった。 こんなところで働きたいと思うかどうか、働くことが正しいのかどうかという 正義感の問題なのかもしれない。