私がモノを手放す理由
この前のコミティアでスクエアカードをお迎えした方が
https://x.com/H__ymSrkt/status/2092811941010133081
私は「巡っていくもの」とか「循環していくもの」にすごく惹かれるのかも、と最近気づいた
それに「なぜ?」ときかれるとちょっとまだ答えがないけど、それはまた探していけばいい 必ず見つける必要もないかも
とポストしていて深い共感を覚えた。わたしの行動原理をそのまま言い当てられたように感じている。 もちろん、わたしは創作活動をしているわけではないから同じということはないだろうけど。
例えば、メルカリでモノを売るのは儲けのためと言うよりはわたしの不要が誰かの要になってほしいから。
寄付をするのは元を正せば自己肯定感の低さ、手にしたお金をすべて自分のために使うことへの疑念から始めたのではあるが、 自分以外の誰ともわからない誰かとつながるための私なりのやり方だったのかもしれない。
最近やたらに凝っているゴミの分別や捨て方のことも別の何かに生まれ変わってもらうためにやっていることで、 どれをとっても手放すということではなくて次に活かしたいという想いが根にあるのだと思う。
そう考えると私が仕事で考えていることも説明がつくかもしれない。 私はいつかいなくなる、もちろん、私に限らず誰だって同じだ。
だから、わたしの持っている知識を、経験を、次の誰かに活かしたい、自分の中だけに収めておきたくない、 だからこそ、自分のためだけに生きていたくない。
この想いはいつからわたしの中にあったのだろうか。一番最初に思いつくのは初恋の経験を経てからになるのだが。
もっと以前のことを思い出してみるとわたしの交友関係は短い期間で終わってしまうことが多かった。 仲良くなると転校してしまったり、クラス替えで疎遠になってしまったり...そんなことを何度も繰り返している内に どうせ終わってしまうという儚さや虚しさのようなものが染み付いてしまったのかもしれない。
自分はいつかいなくなる。それならせめて、この世界を汚さず、キレイなままにしておきたい。 でも、できることなら私がここにいたという痕跡は残しておきたい。 そんな思いがわたしの深いところにあるのかもしれない。
何かを創りたい、生物の本能で言ったら子供を残すことになるのだろうが、わたしにそんな日は来ないだろう。
それでもわたしにとって何ができるか。それが寄付であって、手放すことであって、こうして想いをことばにして 書き出してみることなのかもしれない。